春太郎ブログ

お金の“知らない”で損をしない

賢者が教えてくれた金銭感覚を直す方法 〜「人間の欲求」と「お金誕生の歴史」に秘密がある〜

人間誰しも金銭感覚が狂う可能性を秘めている

金銭感覚はちょっとした油断で誰でも狂う。特に臨時収入が入った時が落とし穴になりやすく、ちょっと宝くじが当たったとか、退職金が入ったとかそんなタイミングで金銭感覚が狂い、そのままダメになってしまう人が多い。

金銭感覚が狂ってしまったら、意識的に直していかないとだめ。一生戻ってこれなくなるので要注意。今回は、そんな金銭感覚が狂ってしまった人や狂いたくない人に、金銭感覚を直す、正常な金銭感覚を保つための極意を教えたいと思う。

 

また、今回共有する話は、ただ単に正常な金銭感覚を保つためだけのものにあらず。

 

「人間の欲求」と「お金誕生の歴史」から知る人ぞ知る金銭感覚が狂う要因から、資本主義社会の現代を生き抜く術のヒントまで共有したいと思う。

 

目次

 

「節約」や「倹約」の捉え方で判る「あなたの金銭感覚」

「倹約」という言葉は聞きなれない人もいるかもしれないが、「節約」という言葉は誰でも知っているだろう。この二つの言葉の捉え方で金銭感覚の状態を判定することができる。

「節約」や「倹約」という言葉を聞いてあなたはどんなイメージを持つか?

「節約」や「倹約」という言葉を聞いて、あなたはどういう感情を抱くだろう?もし「強いマイナス」のイメージが湧いてきたり、「強い必然性」を感じない人は金銭感覚が狂いはじめているかもしれない。

私はプロフィールに記載の通り、たまに友人や知人から「なんでもお金の相談人」という立場で相談を受けたりするのだが、金銭感覚が狂ってしまった人は大抵「節約」や「倹約」に「強いマイナスイメージ」を持っており、さらには「節約」や「倹約」に「強い必然性」を感じていない人が多い。一方で、正常な金銭感覚を持っている人は「節約」や「倹約」にはマイナスイメージというよりも「強い必然性」を感じている人が多い傾向にある。

金銭感覚が狂ってしまった人は「節約」とか「倹約」と聞くと、どうやら「ケチ」とか「貧乏」とか「苦しい」とか「不自由」とかそんなイメージを持つらしい。その一方で正常な金銭感覚を持っている人は「節約」や「倹約」に対して「当たり前」とか「必要」とか「将来のため」とかそういうイメージを持っている人が多い。

金銭感覚が狂ってしまった人が、金銭感覚を戻していくためには、「節約」や「倹約」に対するイメージをまず変えていかないといけない。

「節約」や「倹約」にポジティブイメージを持つ賢者的な人の存在

この世には、「節約」や「倹約」にマイナスイメージどころかポジティブなイメージを持つ賢者のような人も存在する。金銭感覚が狂ってしまった人の金銭感覚を戻していくために、手っ取り早い方法は、この賢者的な人たちの考え方を理解することだ。今、正常な金銭感覚を持っている人でも、いつ金銭感覚が狂ってもおかしくない。ただし、賢者的な人の考え方が理解できるようになれば、簡単に金銭感覚が狂ったりしなくなるのである。

正常な金銭感覚を持っている人は「節約」や「倹約」に対して「強いマイナスイメージ」よりも「強い必然性」を感じていると書いたが、マイナスイメージを持っていないわけではなく、マイナスイメージよりも「強い必然性」が勝っているという感じに近い。しかし、この上をいく賢者的な人たちは「節約」や「倹約」に対してポジティブなイメージを持っているのである。

「節約」と「倹約」の違いについて

さて、ここで金銭感覚を制御する方法をお教えする前に、「節約」と「倹約」の違いについて、念のため説明しておきたいと思う。金銭感覚を制御する極意において「節約」も大事だが、「倹約」がさらに大事なキーワードになってくる。「えっ?節約と倹約って違うの?」という方もいるかもしれないが、全く違うものである。下記記事でも書いたが、「節約」は、とにかく「切り詰める」ようなイメージ。無理をして必要なお金も切り詰めるようなイメージ。その一方で「倹約」とは不必要なことにお金を使わないということだと私は考えている。

moneybu.com

 

賢者的な人たちは「節約」や「倹約」にポジティブなイメージを持っていると書いたが、もっと正確に言うと「倹約を大事にし、必要に応じて節約する姿に美徳を感じている」というのが近いイメージだ。美徳とは「人として望ましいりっぱな心のあり方や行い」ということである。「不必要なものにお金を使わないということを大事にしながら、必要があれば、無理をしてでも出費を切り詰めることも厭わず、その行為が、人として望ましい立派な心のあり方や行いに繋がる」と彼らは信じているのである。

金銭感覚の麻痺が起こる原因は、人間の欲求とお金誕生の歴史が関係している

金銭感覚を直すための極意は、賢者的な人の考え方を理解することだと上記の通り書いた。

つまり、賢者的な人たちが、なぜ「不必要なものにお金を使わないということを大事にしながら、必要があれば、無理をしてでも出費を切り詰めることも厭わず、その行為が、人として望ましい立派な心のあり方や行いに繋がる」と考えているのかを理解し、自分もそのように考えられるようになれば、自ずと金銭感覚は直っていくのである。

 ここまで読んで、

「こいつ、何を言ってるんだ?」

と思う方も多いと思う。それが一般的な人の感想だと思う。しかし、それもそのはずである、これからご紹介する話は一般離れしたごく少数の賢者的な人たちの考え方なのである。さらに言うと、この考え方を理解するには人間の欲求やお金誕生の歴史について知識がないといけない。もし、この考え方が一般的であるのであれば金銭感覚が麻痺して浪費で悩む人など、この世からいなくなっているはずである。

賢者的な人たちは、金銭感覚の麻痺が起こる原因を知っている

話を元に戻すと、なぜ上記の賢者的な人たちの考え方を理解することが金銭感覚を直すことに有効なのかというと、つまりは、賢者的な人たちは金銭感覚の麻痺が起こる原因を知っているから「不必要なものにお金を使わないということを大事にしながら、必要があれば、無理をしてでも出費を切り詰めることも厭わず、その行為が、人として望ましい立派な心のあり方や行いに繋がる」と考えているということである。

なぜ、「金銭感覚の麻痺」がそもそも引き起こされるのか、その根本的な要因を理解することで、賢者的な人の考え方が理解でき、金銭感覚を直していくことができるのである。

実は私も一時期、金銭感覚が大きく狂いそうになったときがある。そのときに、とある先輩(上記の賢者的な人の一人)に「こう考えると良い」と教えてもらった話がこれから話す内容なのだが、

けっこうスケール大きい話で、深い。

しかし、この話が理解することができれば、金銭感覚の麻痺のメカニズムが理解でき、これから自分が取るべき行動も明確になり、金銭感覚を直すことができるだろう。

では、早速その先輩に聞いた話を紹介しよう。

人間の三大欲求と人間に最低限必要なものについて

賢者的な人の考え方を理解するためには、まずそもそも「自分に最低限必要なものは何なのか?」これについて考える必要がある。ただし、金銭感覚が狂った状態では、なんでも必要に見えてくるから不思議なものである。よって、「自分に最低限必要なものは?」ではなく、「人間に最低限必要なものは?」という問いをまず自分に投げかけると良い。

 究極、人間は三大欲求を最低限満たすことができれば生きていける。人間の三大欲求とは「食欲」、「睡眠欲」、「性欲」である。食べないと死んでしまうし、寝ないと死んでしまうし、性欲がないと人間は絶滅してしまう。

 

<人間に最低限必要なもの ≒ 人間の三大欲求>

  • 食欲
  • 睡眠欲
  • 性欲

 

人間に与えられたミッションは、自然界のバランスを保つこと

人間は上記の通り、食べないと死んでしまう。これをやらないと死んでしまうということは、おそらく人間のミッション、この世に存在する意義というところに繋がると考えられる。地球には食物連鎖という生物界のバランスが存在するが、この食物連鎖の中に含まれていないのが人間である。人間は高度な文明や科学技術を持ち、この食物連鎖から外れているのである。そして、人間は雑食である。肉も食べれば、草も食べる、民族によっては虫も食べる。つまり、人間はこの食物連鎖のバランスを保つために存在しているのではないかと考えられる。

なぜ人間が存在しているのか?様々な説があるだろう。この本当の答えは誰にも分からない。ただ、この説も一理あるのではないかと考えられる。増えすぎた種を人間は食べるために存在しているのではないかと。自然界のバランスを取るために人間は存在しているのではないかと。

 

<人間に最低限必要なもの ≒ 人間の三大欲求>

  • 食欲(食物連鎖のバランスを保つため、自然界のバランスを取るため = ミッション)
  • 睡眠欲(ミッションを果たすための体力を回復するため)
  • 性欲(種として存亡し続け、ミッションを果たし続けるため)

 

人間は自らのミッションを効率的に果たすために「経済」、「お金」を作った

食べ物以外にも自然界に存在するものは、全てバランスが大事である。増えすぎてもダメだし、減りすぎてもダメだ。人間は、そこで自らのミッションを果たすために、無意識に、自らのミッションに従い、増えすぎたものは価値が低く、希少なものは価値が高いという「経済」の仕組みを作り上げたのではないかと考えられる。

あらゆるもののバランスを保つために「経済」という仕組みを作り、さらに、その仕組みをスムーズに回すために「お金」を作った。そして人々はコミュニケーションをとってお互い関わり合い、スピーディーに取引できる市場を作り上げた。そして、近年ではwebの世界を作り上げ、どこにいても取引でき、紙幣がいらない仮想通貨すら作り上げた。

 人間は昔々「物々交換」という手法を用いて、経済を回していた。しかし、物々交換では相手が自分の欲しいものを持っていても、自分が相手の欲しいものを持っていなければ取引が成立しないというデメリットがあった。そこから物品貨幣や兌換貨幣を経て、今の形態の「お金」に行き着くわけであるが、ようは物の価値を数値化して、「お金」というもので取引しやすくしたことにより、「経済」を円滑に回す仕組みを作り上げてきた。つまり、自らが果たすべきミッションを効率的に果たすために「お金」を作ったのである。

「お金」はミッション効率化と共に、人間に大きな勘違いをもたらした

「お金」の誕生は、人間のミッションである「自然界のバランスを保つ」ということの効率化を実現する一方で、人間に大きな勘違いをもたらした。その勘違いとは「お金をどのくらい持っているかが、人間の優劣に関わる(価値・尊さを決める)」という勘違いである。

確かにお金を持っている人の中には、他の人から尊敬されるような人もいるだろう。しかし、お金を持っていなくても多くの人から尊敬される素晴らしい人もいる。

人間の価値も「お金」で測れるという勘違い

「お金」が誕生したことによって、人間は物の価値を数値化してスムーズにミッションを果たせるようになる一方で、自らの価値をその「お金」で測るようになってしまった。

しかし、ここで一つの疑問が生じる。なぜ自分の価値を測る必要があるのか?物の価値を測る必要性は前述の通り、自らのミッションを果たすためだが、物だけでなく、自分の価値も測る必要があるのか、そこには下記の人間の三大欲求を超えるさらなる欲求が関係している。

「尊厳欲求(承認欲求)」も「お金」で満たせるという勘違い

人間の三大欲求は、「食欲」、「睡眠欲」、「性欲」という話をしたが、これは生理的な欲求であり、この生理的な欲求、最低限の欲求が満たされるとさらなる欲求が生まれてくる。

「マズローの欲求5段階説」によるとこの「生理的な欲求」が満たされると、安全・安心な暮らしがしたいという「安全欲求」が生まれてくる。そして、「安全欲求」が満たされると、集団に属したい、仲間が欲しいという「社会的欲求(帰属欲求)」が生まれてくる。さらに、「社会的欲求(帰属欲求)」が満たされると他人から認められたい、尊敬されたいという「尊厳欲求(承認欲求)」が生まれる。そして「尊厳欲求(承認欲求)」が満たされると自分らしく、自分が生きたいように生きたいという「自己実現欲求」が生まれる。さらに、「自己実現欲求」が満たされると、自己を超越し、エゴもなく、見返りを求めず、ただ目的の遂行・達成のみに没頭する欲求である「自己超越欲求」が生まれるとされている。

 

図1:マズローの欲求5段階説

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人間はお金を生み出すことで、効率的に「生理的欲求」を満たすことができるようになり、持ち前の文明を築く力で「安全欲求」も「社会的欲求(帰属欲求)」も満たせるようになった。そうすると次には「尊厳欲求(承認欲求)」が出てくる。

他人から認められたい。尊敬されたい。

先ほどの問いである「なぜ、自分の価値を測る必要があるのか?」はこの「尊厳欲求(承認欲求)」に関わっている。「他人から認められる、尊敬される」ということはつまり、「他人から価値のある人間と思われる」ということとほぼ同義である。つまり、自分の価値を測り、他人の価値と比べることで、自分の価値を認めてもらおうとするのである。

では、他人から価値のある人間と思われるためにはどうすればよいのか?本来他人を認めたり、尊敬するという感情は、個々の独自の感性、指標(ものさし)、価値観によって判断され感じるものである。例えばAさんがBさんのことを尊敬していても、CさんはBさんのことを尊敬していないということが起きるものである。つまり、認めてもらいたい、尊敬してもらいたい、自分を価値のある人間だと思ってもらいたいといろいろ行動しても、他人から認めてもらうことはなかなか難しく、ただひたすらに「他人のために」と思い行動することが、本来「尊厳欲求(承認欲求)」を満たすための唯一の方法だったはずである。

しかし、もし人間の中で価値に対する共通の指標(ものさし)が誕生した場合には、それが万人共通の価値観として人間の価値を表すものとして使われてしまい、その指標によって簡単に自分の価値や他人の価値を比べることで、「尊厳欲求(承認欲求)」を満たそうとしてもおかしくない。つまり、「お金」が誕生したことで、「お金」が人間の価値を表すもの。「尊厳欲求(承認欲求)」を満たすための指標として使われるようになってしまったのではないかと考えられるということである。本来「尊厳欲求(承認欲求)」を満たすのは上記の通り大変なことである。しかし、「お金」という万人共通の指標で比べれば、物と同様に、「お金」をたくさん持つことで、自分が価値のある人間ということを示すことができるような気がしてしまい、「尊厳欲求(承認欲求)」を満たせる気がしてしまうのだから、この流れは自然な流れといえるだろう。

このようにして、人間はお金を指標として自分や他人の価値を評価して比較し、お金を持っている人の方が優れていると勘違いするようになった。そして、各々が自らの「尊厳欲求(承認欲求)」を満たすべく、他人よりもお金を多く得ること、他の人よりも優位に立つことを望み、争いを繰り返すようになった。

そして強きものに富は集中し、弱きものとの貧富の格差は拡大、資本を持つもの(資本家)が労働者を雇うという資本主義の世の中が出来上がったというわけである。

金銭感覚の麻痺は人間の勘違いから生まれている

 そして、上記の勘違いにより、人間は自らの「尊厳欲求(承認欲求)」を満たすために、お金をたくさん得ることを望んでいる。しかし、お金をたくさん持っていているだけでは「尊厳欲求(承認欲求)」は満たされない。「尊厳欲求(承認欲求)」とは他人から認められて、尊敬されてはじめて満たされるものなので、お金を持っていることを他人に知らせる必要があるのである。

つまり、ブランド品を買ったり、高級住宅地に住んだり、見栄を張って奢ったりして、お金を持っていることを他人に知らせることで、表面的ではあるが「すごい」とか「憧れる」的なことを言われて「尊厳欲求(承認欲求)」を満たすのである。

そう、これがいわゆる「金銭感覚の麻痺」の要因である。お金を使うことによって、他人に自分が価値のある人間だと思わせることで「尊厳欲求(承認欲求)」を満たす行為を繰り返すことで、中毒状態になり「金銭感覚の麻痺」を引き起こすのである。

「お金」で「尊厳欲求(承認欲求)」を満たしても、次のフェーズに進めない

しかし、ここで一点気になることがある。通常であれば、「お金」の力とはいえ「尊厳欲求(承認欲求)」は満たされれば、次のステップである「自己実現欲求」を満たしたいフェーズに進むはずである。ただ、なかなかこのフェーズには進むことができない。

お金を使っても使っても「尊厳欲求(承認欲求)」が満たされるのは、一時的なもので、本質的には満たされず、なかなか次のフェーズに進めない。この足踏み状態がいわゆる上記の中毒症状を生み、金銭感覚の麻痺を引き起こすのである。お金で「尊厳欲求(承認欲求)」を満たしたとしても永遠に次のフェーズには進めない。

本来、尊厳欲求を満たすためにお金は必要ない

「どうして次のフェーズに進めないのか?」について考えるためには、そもそも次のフェーズである「自己実現欲求」が何なのかについて考えてみることが重要である。

「自己実現欲求」とは「自分らしく、自分が生きたいように生きたい」という欲求である。「自己実現欲求」が「尊厳欲求(承認欲求)」や「社会的欲求(帰属欲求)」の上位にあることからわかる通り、人間は「自己実現」よりも、集団に属し、その仲間との信頼関係を築き、お互い尊重しあい、信頼し合い、助け合うことに本来喜びを感じる生き物である。他人との強固な信頼関係から生まれる確固たる感謝の念、尊重の念を感じ取った上ではじめて次のフェーズである「自己実現欲求」を満たそうとするのである。

本来であれば、「尊厳欲求(承認欲求)」とは、他人のことを思いやり、他人のために行動することで、他人から心からの感謝の言葉・行動や尊敬の言葉・行動を受けて、満たされる欲求である。日々、他人を思いやり、他人のために行動できるようになれば、他人からの信頼は強固なものになり、その信頼関係から返ってくる感謝の気持ちや尊敬の気持ちもより確固たるものになる。

しかし、お金を使うことによって、一時的に「尊厳欲求(承認欲求)」を満たした場合、それはまやかしであり、儚いものである。本当に尊敬され、感謝されている人というのは、当人が困っているときには、様々な人が手を差し伸べてくれる。しかし、お金によって人から尊敬され、認められた人というのは、お金がなくなってしまえば、誰も助けてくれないものである。

お金で、「尊厳欲求(承認欲求)」を満たしたとしても、結局それはまやかしであり、本当の意味での「尊厳欲求(承認欲求)」が満たされないまま、「なんか満たされないな〜満たされないな〜もっとお金を使ってアピールしなければ〜」と足踏み状態が続き、一時的な「尊厳欲求(承認欲求)」を満たそうとして浪費を繰り返し、金銭感覚の麻痺を引き起こすのである。

全ての浪費の原因には尊厳欲求が関係している

ここで、金銭感覚の麻痺からくる浪費は、本当に全てこの尊厳欲求が原因なのか?というつっこみがありそうなので、説明しておくと、一見様々な浪費の要因があるように見えるが、下記のように全ての根底には尊厳欲求を満たしたいという欲望がある。

 

<主に金銭感覚の麻痺からくる浪費パターンと要因>

1.見栄を張る(奢りたがり、高いもの買いたがり等)

→これはあからさまに尊厳欲求を満たしたいということが要因なのがわかる

2.キャバクラ・ホスト通い

→これもわかりやすい。この手のお店にいけば好きなだけ褒めておだててくれる(その代わりに高いお金を払うことになる)ので、尊厳欲求を満たしたいということが要因

3.人付き合いが良い

→これもわかりやすい。人に何でも合わせてしまう人。なぜ人に合わせるのか、その人に嫌われたくない、認めてほしい。つまり、尊厳欲求を満たしたいということが要因

4.流行に流される、飽きっぽい

→なぜ流行に乗る必要があるのかを考えてみてほしい。誰かに自慢したいのである。よってこれも尊厳欲求を満たしたいということが要因

5.高いものを衝動買い

→そもそも高いものを買う場合は、本当にそれだけの価値があるかを調査する必要がある。なぜ高いか理解しないと普通は買わないからだ。高いものを衝動的に買う人は、高いというだけで買っていることになる。つまり高いということが価値なのである。なぜ高いことが価値なのか、それはそれを持っていることで自分の価値も上がると考えているからである。つまり、尊厳欲求を満たすべく衝動買いしているのである

6.趣味にはまる

→趣味にはまったことで金銭感覚が狂う人は、その趣味を共有する仲間がいたり、その趣味を見せる場がある人である。その趣味を共有する仲間がいる場合はその人と競い合うことで自分の方がすごいということを認めさせたいと思ったり、見せる場がある人はすごいと思われたくて見せている。その趣味を一人で誰かに見せる場もなくやっている限り、浪費をすることはないだろう。つまり、これも尊厳欲求を満たしたいという気持ちが要因である

7.遊びでギャンブルにはまる

→これも尊厳欲求が要因である。なぜか遊びでギャンブルにはまる人は、自分が特別な人間かのようにギャンブラーとしての自分を他人にアピールする。特に若い時は悪い人がかっこいいみたいな風潮があるため、それに流されて「ギャンブルをやっている自分ってなんかかっこいい」みたいなことを考えている人もいる。

中には生活に困ってギャンブルにはまる人もいるだろうとつっこみがありそうだが、ギャンブルで生活費を稼ごうとする人は、既にギャンブル経験者で、遊びでギャンブルにはまった人が借金に苦しみ、ギャンブルで取り戻そうとしている人が大半である。

8.高い外食が多い

→これも一流店に行っている自分を自慢したいということが要因。つまり、尊厳欲求を満たしたいということが要因

 

上記の通り、金銭感覚の麻痺からくる浪費の要因は全て尊厳欲求が根底にはあるのである。しかし、これでもなかなか腑に落ちない人もいるかもしれない。その場合は、自分が浪費してしまうシーンを思い浮かべて、下記のように考えてみてほしい。

 

その浪費してしまう対象のもの、もしくはサービスを得るのに人を介さない(自動販売機で買うようなイメージ)かつ、他人に買っている場面をみられてはいけない場合、そのものやサービスを買いますか?

そして、買ったものやサービスについて他人に報告したり、見せたりしてはいけないとなった場合、そのものやサービスを買いますか?

 

もし上記の場合買わないという人は、自分の浪費の要因が尊厳欲求を満たしたいというものだったことがわかるだろう。

なぜ金銭感覚の麻痺が起こるのかのまとめ

改めて、ここまで書いてきた、金銭感覚の麻痺が起きる要因をまとめると下記及び下図の通りである。

 

<金銭感覚の麻痺が起きる流れと要因>

①人間にとって最低限必要なものは三大欲求(食欲、睡眠欲求、性欲)にあり

②「人間とって最低限必要なもの = 人間に与えられたミッション」と考えると、人間のミッションは食物連鎖のバランスを保ち、自然界のバランスを保つことと考えられる

③人間は「経済」という仕組みを作り、「お金」を作ることで、物の価値を数値化し、自らのミッションを効率的に果たせるようになった。(生理的欲求を満たせるようになった。)

④生理的欲求を効率的に満たせるようになると同時に、持ち前の高度な文明を築く力を用いて容易に安全欲求や社会的欲求も満たすことができるようになった。

⑤しかし、「お金」の誕生により、「人の価値(尊さ)もお金で数値化できる」と勘違いしてしまった。

⑥この勘違いにより、本来「お金」では満たすことができない尊厳欲求が「お金」で満たせるというさらなる勘違いが生じた。

⑦これらの勘違いが原因で浪費を繰り返す人間(金銭感覚が麻痺した人間)がでてきた。つまり、これらの勘違いが金銭感覚の麻痺の要因である。

 

 

図2:金銭感覚の麻痺が起きる流れと要因

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「お金」で人の価値(尊さ)は測れないし、「お金」で尊厳欲求を満たすことはできないのである。

 

賢者の考え方を理解し、金銭感覚を直す

金銭感覚の麻痺が起こる要因が理解できたところで、改めて前述の賢者の考え方に戻って整理してみたいと思う。

「お金」によって、人の価値(尊さ)は計れない、尊厳欲求は満たせないということを理解する

前述の通り、「お金」によって人の価値(尊さ)は計れないし、いくら大金を持っていようと、高い車に乗っていようと、豪邸に住んでいようと、ブランド物を身につけていようと、その人の価値が高く、尊い存在というわけではない。つまり、お金をいくら使おうが、そのお金で何を得ようが、誰にも尊敬されないし、尊敬されたと思っても上辺だけの尊敬であり、お金によって人の価値(尊さ)は計れないのである。よって、お金をいくら使おうが、お金を使って何を手に入れようが、いつまでたっても本質的には尊厳欲求は満たされることはない。

もし身近に大金持ちがいれば聞いてみるといい。「お金を使うことでは本質的に尊厳欲求は満たされることはない」ということがよくわかるだろう。尊厳欲求を満たすためには、前述の通り、とにかく日々、他人のことを思いやり、他人のために行動し続けることが大事である。お金を持っているかどうかは関係ない。自分ができることを他人のために精一杯やりつくすことが大事である。

人間の勘違いが作りあげた「お金第一主義」という現実世界を理解する

とはいえ、じゃあお金なんかいらん!とはならないのが難しいところで、今この記事を読んでいるあなたは上記の考え方が理解できているかもしれないが、多くの人間は勘違いしたままであり、長い年月をかけて、この勘違いは人間社会の様々なところに「暗黙の了解、当たり前」として浸透してしまっている。

というのもこの勘違いが発生してから、人間は他人よりもお金を多く得ること、他の人よりも優位に立つことを望み、争いを繰り返すようになった。そして強きものに富は集中し、弱きものとの貧富の格差は拡大、資本を持つもの(資本家)が労働者を雇うという資本主義の世の中が出来上がった。

この資本家たちが、いわば現在の人間社会の「当たり前」を作ってきたと言っても過言ではない。資本家は自らの地位、優位性を守るために、自らの尊厳欲求を満たすために「お金第一主義的」な世界を作り上げてきた。前述の通り、お金をいくら持とうが本来は人間的に優れているわけではないし、尊厳欲求は本質的には満たされることはないのだが、せっかくお金を増やして優位な地位を築いてきた資本家たちからすれば、この勘違いに気付こうが、今までの努力を無駄にしないためにも、お金に支配された世界を作って、自分の優位性をさらに確固たるものにしようとしたのである。

このような流れで、本質的には「お金」によって人の価値(尊さ)は計れないし、お金では尊厳欲求は満たされないのだが、現実的には「お金」がないと生きていけない世界になってしまっていることを踏まえて、どのような行動を取っていくかが重要である。

「お金」の呪縛から解放され、本質的に尊厳欲求を満たせる人間になることが目指すべきところ

ここまで読んでもらえれば、冒頭の賢者的な人の考え方が理解できるだろう。

「不必要なものにお金を使わないということを大事にしながら、必要があれば、無理をしてでも出費を切り詰めることも厭わず、その行為が、人として望ましい立派な心のあり方や行いに繋がる」

つまり、まず人間の勘違いから作り上げられた「お金」によって支配された世界から解放される必要があり、その唯一の方法は、自分が生きていくために必要なお金を見極めて、倹約に努めながら、必要があれば節約もしながら、生きていくための資産を早い段階で築いてしまうことである。

そして、生きていくためのお金に困らなくなれば、お金の呪縛から解放され、真実がより鮮明に見えてくるだろう。自分の尊厳欲求を満たすためにはどうするべきかが見えてくるだろう。他人のことを思い、他人のために行動することが唯一の道だということに心の底から思うようになるのである。その結果「人として望ましい立派なあり方や行為に繋がる」つまり、本質的に他人から認められ、尊敬される「尊厳欲求を満たすことができる人」になることができるのである。

金銭感覚を直し、「お金」の呪縛から解放されるための方法

賢者的な人の考え方が理解できたところで、その考え方を実践する第一歩目の踏み出し方についての方法を紹介したいと思う。

まずは、ライフプランニングで自分に必要なお金を明確化

「お金」の呪縛から解放されるために、とにかく節約すれば良いというもんではない。あまり無理をして節約をすると精神的によろしくなかったり、その反動で浪費癖がついたりするため、前述の通り「倹約」が重要である。

「倹約」とは前述の通り「不必要なことにお金を使わない」ということである。ではどのくらいのお金が自分が生きていくためには必要なのかを知らないといけない。そのために、一度ライフプランニングというものをやってみるといい。

ライフプランニングとは自分や家族が将来どんなライフスタイルや生活を送っていたいかを想定して、それにかかる費用を算出し、人生設計する方法である。このライフプランニングを本格的にやってみる場合には下記のFinancial Teacher Systemがおすすめである。無料で本格的なライフプランニングが可能。プロのファイナンシャルプランナーも使っているツールである。

financial-teacher.net

他にも下記のように簡易的にライフプランニングできるサイトもあるので参考までに。

www.jafp.or.jp

ちなみに、以前ライフプランニングの重要性については下記の記事も書いているので、特に家庭を持っている人は、この記事も参考にしてみるとよいだろう。

harutaro.hatenablog.jp

必要なお金が見えたらあとは「倹約」「倹約」「節約」

自分が生きていくために必要なお金が分かったら、あとはそのお金を確保するためにまずは「倹約」に努めることが重要。まぁ、上記の賢者的な人の考え方が理解できていれば、もう当然のことかと思う。

上記の賢者的な人の考え方も理解できているし、必要なものにしかお金を使っていないのにお金が貯まらないという人は、以前書いた下記記事も読んでみるとよいだろう。

harutaro.hatenablog.jp

次のステップとして、さらに「稼ぐ」方法も視野に入れる

自分が生きていくために必要なお金を確保し、「お金」の呪縛から解放されるためには、何も「倹約」や「節約」だけの守りの手法だけでなく、投資等で「さらに稼ぐ」という方法もある。

この「さらに稼ぐ」方法についてはまた別記事で書きたいと思うが、これができるようになれば「お金」の呪縛から解放されるのは容易になってくる。

ただし、効率良く稼ぐためには、世の中のルールを理解してうまく稼いでいく必要がある。以前書いた下記記事はそのルールの一部が垣間見れる内容になっている。参考までに。

harutaro.hatenablog.jp

 

お金は大事だけど、お金で人間の価値は測れないよ

春太郎