大半の人は少なからずお金のために働いている
なぜ働いているのか?ふと考える時がある。
考えてみると、いろいろな考え方はあるが、大半の人は心の奥底で「まぁ結局、お金のために働いているんだろうな」と思うだろう。そう、大半の人は少なからずお金のために働いている。
「私はお金のために働いてなんかいない!」と思う人もいるかもしれないが、そんな人は、このように自問自答して欲しい。
「それじゃあ、一銭ももらえなくても働くのかい?」
大半の人の答えは「ノー」だろう。大半の人はお金のために働いているのだ。
お金を稼ぐ必要がなかったら働かないのか?
質問を変えよう。
それでは、もしあなたがお金を稼ぐ必要がなかったら、働かないのだろうか?
こちらは、働きたい人と働きたくない人に分かれそうだが、おそらく私が聞いてきた不労所得を得ている人達の経験談から推測するに、大半の人は一定の働かない期間はあったとしても、結局働くようになると考えられる。
以前、下記記事にも書いたが、
生活するのに十分な不労所得を得ている知人は、親からの相続で働かなくてもよい生活を手にいれたが、結局働いている。それも不労所得を得る前よりも働いている。
金銭的には働く必要がない知人が、なぜ働くのか?
彼のように、働かなくても十分なお金を得ることができる人達に、「なぜ働いているのか?」を問うとこんな感じの答えが返ってくることが多い。
「生きがいのため、やりがいのため、達成感のため、世のため、人のため」
彼らはお金のために働く必要がなくなり、そのタイミングで、いろいろ考えるそうだ。
「なんで私は働いていたんだろう?働かなくてよくなったが、何かが足りない気がする。退屈だ。孤独だ。これが求めていた生活とは思えない。何かが足りない。何かが、、、」
意外かもしれないが、彼らは働かなくなって、とにかく悩むらしい。働かないでお金が入ってくる生活を望んでいたのに、いざそのような生活になってみると何かが足りないと悩む。そして、悩みに悩んだ結果、こんなことに気がつくらしい。
「そうだ!何か生きがいのようなものがなくなってしまっている。生きがいってなんだ?」
生きがい。
確かに生きがいとは何なのだろう?今まで、お金のために働いて、毎日をなんとなく過ごしてきてしまったが、なぜ私は生きているのだろう?彼らは悩みに悩み、考えに考え、ある考えに行き着く。
「そうか!生きがいっていうのは、誰かの役に立った実感を持って得られるものかもしれない。子供のときから親を喜ばせたり、誰かに褒められたり、人の役に立った時はなぜか心が躍ったものだ。あの頃の気持ちを取り戻そう」
そうだ。人間は本来お金のために働きたいのではない。誰かのためになることをしたい。世のために人のために働きたいのだということに気がつくのだそうだ。
しかし、不労所得で十分な収入を得ている人はそれでよいかもしれないが、我々のような普通の人たちはお金がなくては生きていけない。だから世のため、人のためにたとえならない仕事だとしてもお金のために働いている。それが現実なのだと思う。
お金のためではなく、もっと大事な生きがいのために働きたいのに、その大事なものを失ってまで、お金のために働かなくてはいけない現実。そんな現実から抜け出さなくてはいけない。
お金のためではなく、大事な生きがいのために働くには?
お金のためではなく、大事な生きがいのために働くにはどうしたらよいのか?ここまで読んできた方なら答えは明確だろう。
お金の呪縛から解放されるのである。
実際に、PRESIDENTが過去に行った調査によると、低年収の人ほどお金のために働き、年収が上がっていくにつれてお金以外のために働く人が増える傾向にあるようだ。
図1:年収と働く目的について
引用:低年収ほど仕事の目的は「給料」 -年収別 幸せ実感調査【2】:PRESIDENT Online - プレジデント
お金のためではなく、大事な生きがいのために働きたいのであれば、お金の呪縛から解放されるのだ。
お金の呪縛から解放されるために
お金の呪縛から解放されるためにすべきことはシンプルだ。倹約に努め、生活に困らないだけの十分な資産を築けばよいのだ。
しかし、我々のようなお金のために働かないといけない人々は、日々、お金のために働いているため、「お金」を得ることに必死で、「お金」という存在に翻弄され、なんでも「お金」の存在ありきで考えてしまう。「お金」から解放されるなんてことは考えたこともない。
そして、「お金」を得たとしても、「お金」使わせようとする様々な誘惑に翻弄され、なぜか「お金」を使うことに夢中になってしまう。「お金」を使っては稼ぎ、使っては稼ぎ、浪費のサイクルに入っていってしまう。「お金」を使うことが生きがいのように感じるようになってしまうのだ。
私はある知人にこのような質問をした。
「1億円のお金がもらえたらどうする?」
すると彼はこう答えた。
「家を買うね。豪邸だ。あと車も買おうかな。もちろん外車の高級車だ。」
これが、普通の人の答えである。そう、彼はお金持ちでもなんでもない普通の知人である。彼は少なからずお金のために働いている知人の一人だ。普通の人は大金があったら何を買おうか?と考えるのである。お金は使うために得るものだと考えるのだ。
しかし、金銭的に働く必要のない知人は同じ質問に対して、このように答える。
「その1億円は使わないでとっておくね。なぜならその1億円があればお金の不安から解放されるのだから。」
彼らは知っているのである。お金の呪縛から解放されること、お金の不安から解放されることが、幸せになるポイントなのだと。
私は、お金のためではなく、大事な生きがいのために働きたい!だからお金持ちになりたいのだ!
お金を稼ぐ必要がなかったら、お金の不安がなかったら、どうしているだろうか?あなたは、どうするだろうか?もう一度、自分の胸に手をあてて、よく考えて欲しい。
私は、社会や人のためになることにとにかく精を出すことだろう。高い志を持って、熱い気持ちを持って、悔いのないように、まっすぐに、素直な気持ちで、自分に正直に、楽しみながら、夢を思い、全力で社会や人のためになろうと精を出すだろう。
子供のころは、何か今と違っていたと思うことがよくある。もっと純粋に心が躍り、高揚感を味わうことができていた。それは誰かのためになるような何かを成し遂げたとき、そんなときに感じていたように思う。
しかし、大人になって、お金がないと生きていけない、生活していけないという不安を感じてから、お金のために働いて、お金のために仕事を選んで、お金のために様々な選択をしてきた気がする。まさに「お金」翻弄されていっているといっても過言ではない。
最近、通勤途中に電車でお年寄りに席をゆずったことがあった。すると、とても気持ちが晴れやかになったのを覚えている。普段なかなか席をゆずったりする機会がなかったが、久しぶりに席をゆずってみて、心の奥底から満たされた気がした。たった一度席をゆずっただけなのに、自分が誇らしく思えた。
この記事を読んでいる人の中にも思い返せばこのような経験があるだろう。なんで、こんな気持ちになるのだろう。やはり人のためになにかをするというのは、幸せになるための人間の大きな「生きがい」なんだと思う。
私はお金のために働くのではなく、誰かの役に立ちたい、世のため、人のために働きたいのだ。そう気がついた。
お金の不安が、何か全てをおかしくしてしまっている。私はお金持ちになって、豪邸に住みたいわけでも、高級自動車を乗り回したいわけでも、高級レストランを食べ歩きたいわけでも、高級ファッションを身にまといたいわけでも、優雅にのんびり過ごしたいわけでもない。
私は、お金持ちになって経済的自立を果たし、お金の呪縛から解放されたいのだ。
そして、お金のためではなく、純粋に人のためになるようなことをやりたいのだ。
その生きがいのために、この人生を、一度きりの人生を生きたいのだ。
そのためにも、倹約に努め、一刻も早く経済的自立を果たしたい。
お金の呪縛から解放されるために行動しはじめよう
お金の呪縛から解放されるためには、
まずどちらにせよまずお金を稼がないといけない。
資産を築いてお金の呪縛から解放されるのだ!
でも今の仕事は違うと思う人へ
でも今の仕事は何かが違う。
そういう人は一度、客観的に自分を見つめ直してみるといい。
改めて自分はどのようにして生きたいのか?
自分にはどのようなことができるのか?
自分に隠れた可能性や価値はないか?
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そして、自分が活かせる仕事を探してみよう。
今の仕事を辞めたくてもなかなか辞めれない人へ
今の仕事を辞めたくても、なかなか辞められない。
辞める勇気が湧かない。辞めさせてもらえない。
そういう人はとにかく第三者に相談してみるといい。
そして、それでもなかなか踏み切れないなら、
退職代行というサービスも今の時代あったりする。
自分の今後のためにも、踏み出す勇気が必要である。
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また、お金の呪縛から解放されるための方法と考え方については、以前下記記事でも書いたが、今後も引き続き書いていきたいと思う。
お金は大事だけど、翻弄されちゃだめよ
春太郎
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